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十四 エルサレムの光景

 イエズス捕縛の知らせが直ちにアンナとカイファに伝わった。すると活発な動きがかれらの所で始まった。法廷には火が燃やされ、守衛が警備についた。下僕たちは衆議所の議員や、律法学士や裁判に臨席する権限を持った人をすべて召集するために、全市内を走り回った。しかし多くの者はすでにユダの裏切り以来その結果を待ちわびてカイファの所に残っていた。また市民の長老たちも召集された。さらに二、三日前からファリザイ人、サドカイ人、およびヘロデ派の人々も過越し祭の習慣に従って全国から集まっていた。かれらはすでにずっと前からイエズス殺害の計画を衆議所と共同してたて、かつしばしこのことを討議して来た。大祭司はこれらの人々の名簿を持っていた。かれはこの夜、主の敵のおもだった人を多く裁判に召喚するために使いを走らせた。使いは主に対するあらゆる証人や証拠を、故郷から出て来た過越し祭の巡礼者の中から集めて来るようにとの命令を受けた。今やナザレトやカファルナウムや、その他至る所からイエズスの敵たちがぞくぞくと集まって来た。かれらはかつて、主が明からさまに語った言葉により人民の前で深く恥をかかされた人々であった。かれらはみな復讐と怒りに燃えたっていた。かれらは過越しのために来た各自の故郷出身者の中から二、三人の卑劣漢を探し出し、イエズスの有罪を発言し騒ぎ立てるように金で買収した。しかしかれらはみな自分たちの会堂において、すでに何回も主になした誹謗以外 - その誹謗も主によって沈黙せしめられた結果になったが - 分かり切ったいくつかの嘘や誹りのほかに何も持ち合わせていなかった。

 これらのものは今や次第にカイファの法廷に集まって来た。またエルサレム出身のファリザイ人や律法学士などの一群も、自分たちに味方する偽証人を引き連れて集まって来た。その中には主によって神殿から追い出されたことを遺恨に思っている商人や、神殿に集まった人々の面前で沈黙させられてしまった傲慢な教師もいた。主がまだ十二才の少年の時、神殿で主に教えられ、恥をかかされたことを未だに忘れることのできない何人かの人も恐らくいたであろう。

 また主がいやすのを拒みたもうた悔悟せぬ罪人や、再び病気になった再犯の罪人や、主の弟子になることを拒まれた虚栄心の強い若者や、その人が死ねば自分が相続しようと思っていた者を主が癒したために、腹を立てている卑劣な相続人や、自分の友だちを主が改心させてしまわれた与太者や、自分の情婦を主が徳に進めてしまわれた放蕩者や、姦夫や、あらゆる悪事に手を出そうとしていた多くの節操ないおべっか使いや、またすべての聖なる者に対し、したがってもっとも聖なる主に対し、憤れる悪魔の道具になってしまっている者がそこにいた。これらの人間のくずは、世の罪を負える汚れなき真の過越しの羊にあらゆる罪を負わせるために、各方面からカイファの館を指して合流し集まり始めた。

 これらユダヤ人のくずがいとも清い救い主を汚そうと暴れ回っている時、多くの敬虔な人たちや主の友だちらは不安の念におびえ悲嘆にくれていた。かれらは一体全体なんのことやらわけがわからなかった。そして途方にくれてあてもなくさまよい歩き、人々に尋ねたり、聞いたり、ぼんやりとしていて疑いをかけられた。弱き者はつまずき、試練にあってぐらつき始めた。不動の信仰を持ち続けていた者の数は多くはなかった。それはちょうど今日もそうであるように、都合のいい時には多くの人は熱心であるが、都合が悪くなるとすぐ十字架を感ずる。

 人々の雑踏していない広い街や、過越し祭の巡礼の宿舎は祭の準備をすべて終え、静かな眠りについていた。だがその時、主の捕縛の知らせは、イエズスの味方も敵もすべて興奮の渦の中に投じた。そこへ裁判召集の召喚状を持った大祭司の使者が方々の家に回って来たので、街の至る所から人のざわめきが始まった。たいまつを持って街を急ぐ人も多かった。家の窓がたいてい中庭に面しているエルサレムの夜は真っ暗く物騒であった。たいまつが燃え、喧騒をきわめているシオンに向かって人々はみな動き始めた。まだそこ、ここの家を起こそうと戸をたたいているのが聞こえた。それは人々が重いかんぬきや横木を扉にかけていたからである。多くの者は不安におののき、暴動を恐れていた。門口の所に立って通り過ぎる人に様子を聞いている者もあちらこちらにいた。また同志の所に立ち寄って、二、三早口にしゃべって行く者もいた。こんな時に、今日でもそうであるが、人の不幸を喜ぶ小話はいろいろ耳にする。たとえば「今こそラザロとその妹たちは、だれと関わっていたか気がつくだろうよ! - クザのヨハンナ、スザンナ、サロメやほかの者たちは自分たちのやったことを悔やむだろう。シラハの妻ベロニカは夫の前にどんな顔ができるだろうか。かれは妻にかのガリレア人との関係をたびたび禁じていたのだから。 - 狂信家の帰依者どもはいつも自分たちに属さないほかの者らを哀れみの目を持って見ていたではないか。それが今となってはその隠れ場所に困っていることだろう。 - 今となってはマントや棕櫚の枝やベールをかれのロバの足の下に広げるような者はだれも見かけることはできないだろう。 - いつも他の者よりもいい子になりたがっていた光の偽善者らが審判される番になったということはまったく当然の結果だ。なにしろかれらはみな明らかにガリラヤ人の事件に連座しているのだからなあ。 - この事件は実際、みなが考えているよりもさらに深く根を張っているのだ。わたしはただニコデモとアリマテアのヨゼフがどういう態度を取るかということに興味を持っているのだがね - みなは以前からかれらを信用していなかったのだ。それにやつらはラザロと関係してのだからねえ。 - しかし二人とも狡猾な男だが、今じゃなにもかもはっきりしてしまったわけさ。」こんな風に大勢の人々が話し合っているのが聞こえた。しかし他の所ではイエズス逮捕の知らせをもっとそれにふさわしい態度で聞く人もいた。ある何人かは愕然とした。ただもう一人で嘆く者、あるいはその心中を打ち明けにこっそり同志を訪ねていく者もいた。しかしその同情を公然とかつ思い切って言い現そうと敢えてした者はほんのわずかに過ぎなかった。

 しかし街中の人々がみな興奮していたというわけではなく、ただファリザイ人が公判の召喚状を配り、あるいは偽証人を召集するために使いの者を送った所だけであった。特にシオンに通ずる道の交叉している所では甚だしかった。それはあたかも街の各所から憤怒や立腹の火花が立ち上がり、街を通り抜け、他と合流するうちに、いよいよ強くかつ大きく燃え上がり、ついには陰惨な焔の激流となってカイファの法廷に流れ込むかのようであった。市中にはなおもまったく静まり返っていた場所もあったが、そこもまた今やうごめきを呈し始めた。

 ローマ兵はなんら関係をしなかったが、その部署は増強され、軍隊は集結し、起こりつつある事件をすべて注意深く監視していた。過越し祭の節にはかれらはいつも大群衆の殺到に際して落ち着き払い、いざという場合いの心構えをして警戒を非常に厳にするのだった。今動き回っている連中はローマ兵の看守が立っている場所を避けて通った。ファリザイ派の人たちはローマ人から呼びとめられるのをいつも心よく思っていなかったからである。ピラトは寝ずにいた。そしていろいろの報告を聞き命令を与えていた。大祭司はオフェル地区を兵卒をもって警備した理由をピラトにすでに報告したようであったが、ピラトはうさんくさく思っていた。かれの妻は寝台に横たわり、深く寝入っていたが、不安であった。そして恐ろしい夢を見ているかのように溜息をもらしたり、泣いたりしていた。かの女は寝てはいたが、ピラトよりも遙かに多くの事柄を見聞していた。

 聖婦人たちはマルタの家で泣いていた。また手をもがいていた。時々扉がたたかれた。みな恐ろしさのあまり黙って耳をそばだてた。たたく音は弱く、忍びやかであった。もし敵ならばそうはたたかないであろうと、不安ながら戸を開くとそれは主の友であった。みなかれに質問を浴びせかけたが、ただ新たな苦痛を聞くのみであった。

 大部分の使徒や弟子たちは恐れてエルサレム付近の谷間をさまよい歩き歩き、あるいはオリーブ山の洞穴に隠れたりした。かれらは忍びやかな声で状況を尋ね合い、足音が近づくたびに。その不安な話は中断された。かれらはたびたび場所を変えていたが、ふたたび思い思い街の方に近づいて行った。他の者たちは知り合いを訪ね、その過越しの祭の場にそっと入り、状況を尋ねた。ある者は街の方に密偵を出したりした。何人かはオリーブ山に登り、街のたいまつの動きを不安げに眺め、シオンのざわめきに耳をそばだてていた。かれらはそれをどう解釈すべきかを知らぬままに、何か確実なことを知ろうとして谷に下りて行った。

 夜の静けさはカイファの家を取りまく騒ぎによって、ますます破られて行った。付近一帯はたいまつやチャン鍋でほのぼのと照らされていた。各地から過越し祭のため連れてこられた、荷物を引く無数の動物と、過越し祭用の動物の声が街全体にこだましていた。翌日神殿でほふられるべき助かる望みのない一群の羊は夜を通して鳴いていた、その声は罪なきものの哀れさを訴えるかのようであった。しかしただ一頭の羊だけが、自ら望んだゆえにほふられるのだった。屠所に引かれる羊のごとく、毛を刈り込む人の前に黙する羊のように、純にして汚れなき犠牲なる羊、イエズス・キリストは口を開かれなかった。 - 一方町の南方のけわしいヒノンの谷 - そこはどぶ沼や、汚れ物や、塵が散乱し、道もない不気味な場所であったが - そこをイスカリオテのユダはおのが良心にさいなまれ自分の影におびえながら、さまよい歩いていた。

 また、数千の悪魔どもは解き放たれ、人々を罪悪に駆り立てていた。羊の重荷はますます重くなった。サタンの怒りは倍加され、渦を巻きとめどなく募っていた。サタンはただ罪だけを欲している。たとえこの義人が、罪を犯し堕落するようなことがないとしても、かれの敵はどのみち自分の罪で滅びるがよい。

 しかしすべての天使は悲しみながらも喜んでいた。かれらは神の玉座の前に、主を助けることが許されるよう願いたかった。しかし今や地上に現れ始めた神の正義と慈悲の奇跡をただ拝するばかりであった。

 これらすべては主の残酷な捕縛を見るに耐えず、瞬間助けを求めるがごとく、顔をそむける哀れな罪人の心に起こったに違いない印象の一つ二つである。かれらの心は恐怖と痛悔、同時に慰めと同情に、溢れて張り裂けんばかりになったに違いない。

 この最も厳粛な真夜中の時間に主の正義は慈悲と深く結合し、神的及び人的愛の最も聖なる事業を始められた。それは人類の罪悪を神人の苦難によって罰しかつ償うということである。愛すべき救い主がアンナのもとに引き行かれたもうた時、以上のような光景であった。





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